沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

詩の終わり 戦後を生きる我々

 今、何が我々には見えているか?

 例の特定の人間群(安倍晋三とその一味)の政治的言動を通して、今となってはさながら合わせ鏡のような自分自身の内面の動きというものに目が向けられ、対比的にかの特定の人間群を批判する正当性の確信されるということが起きている。通常はこれを結果「反面教師」と呼称するが、この場合、その成り立ちは全く逆の経緯をたどっている。「以って他山の石」とし自己便宜を図るというような話にはなりそうにない。むしろ激しくその批判的攻撃的気組みが助長され一定の見識に集約されていく。そして大元(自民改憲草案に明示)のところで巧まれ、続けられる政治的画策(政権維持のための詐欺的画策)に、多くの嘘と隠蔽工作、証拠品の見せかけの破棄、看過ならぬ(立件のハードルが高い)重大な犯罪性を発見しつつ、完全にこの特定の人間群に対して排斥すべき場に立脚して言論を形成するわけだ。

 勿論法曹人でもなくある種の専門家でもない、一介の市井人がかの特定の人群(自公政権)に関して「印象的に」しか断罪できないもどかしさはある。しかし嘘で固めた官僚的采配によって作り上げ、維持され、何事も「多数決原理」で事も無げに(「決める政治」と称して)おのが政治経歴に「やってる感」を醸し出したいためだけの法案成立を、熟議、稟議ありの如何を問わず強引に決するこの特定の個人的恣意的政治家群に、最早何らの検証を経ずとも言える「不正義」の悪臭を嗅ぎ続けるのは、如何にしても耐え難いというところまで来てしまっている。

 国会質疑における、官僚の作文を棒読みするだけの、「既に述べた通りですが」や「先程の答弁の繰り返しになりますが」といった死人(しびと)回答に終始する閣僚たちの、あるいは政権に阿り、忖度し、追随するしか能のない官僚たちの、でたらめな「お答えします」以後の「繰り返しになりますが」という厚顔無恥な開き直りを目の当たりにすると、この腐りきった権力亡者どもに無作為に政権をゆだねてきた我々自身の何とも言えない不甲斐なさに、今更に民主憲法平和憲法を押し頂いたはずの戦後日本人の自律性喪失のだらしなさ、類を見ない僥倖(永久平和の原点たる戦争放棄の大理想を掲げたという僥倖)を受け止めえない下卑た狭量さなどを痛感させられている次第。

 ネトウヨ政治的無関心層などの跋扈によりあり得ない支持率を維持していた、かの政治家群に、世論はようやく当たり前の不支持意思を示し始めている(毎日新聞世論調査結果)。彼らを後戻りならぬ窮地に追い込んだ感があるとはいえ、稀代の嘘つき政権のイタチの最後っ屁がどんなものか知れたものでなく、前段の政権投げ出し程度では済まぬトンデモない大団円が予感され、コロナ禍の世界情勢下、われわれの命にかかわる話とは全く無縁の茶番劇で幕を引くというのが大方の想像するところだ。

 見たところこの国のアイデンティティはひどく失墜している。戦後あった所謂「軽負担経済復興」路線(吉田ドクトリン)のような成り行きで、ポストコロナにおいて再び「エコノミックアニマル」的獣的資本主義が再現されるのだろうか。このところ引き続く主に温暖化の影響で突発する天災の襲撃が、(劫罰として)堕落した日本人にいくらか「まともな人間性」を覚醒させるようにも思えたが、かの政治家群の出現で人間復活の可能性の崩壊が見られ、本土の矛盾実態に理不尽に弑逆されている琉球沖縄のみが、その独自のアイデンティティを醸し出して、漸く「まともな人間」の現実的実証例(非暴力不服従運動)を示している。

 筆者の趣味は家族ともども韓国ドラマを視聴することなのだが、現在「大王世宗」という時代劇に毎日つきあっていて、イ・ソンゲという李氏朝鮮を與した人の5番目の息子イ・バンウオン(3代目王)を父とするイ・ド(4代目王)の生涯を扱ったものだ。劇中人物であり事績はともかく伝説の面も相当あるのだが、その生涯に貫かれている一種の王制的「平和主義」はその父王と対極にあるものだったらしい。実際イ・バンウオンの王位への道は初めから血なまぐさいものだったようで、その敵として抹殺する相手に彼自身の係累がなかったことはないとされる。簡単に言えば合理性と現実主義の武断政治家であり、大王世宗は世にいう賢人政治家といったところか。彼の事績で有名なのが例のハングル文字創出だった。

 この親子の、国王と上王(禅譲した元国王)としての緊迫した関係性が、物語の核心部分で進んでいく。今風に言えば徹底した「民主主義者」としての世宗が、父の政治家、統治者としての極端なマキャベリズムとの相克の中で、独自の政治的結論を選びつかみ取っていく過程が興味深い。15世紀初頭の中世的世界観にあって、朝鮮風「聖君」と呼称される人物の、統治者、国王、政治家として懊悩し人民の福利厚生に腐心した在り様は、現代日本の無様なエゴイステックな政治風土に比し、国柄を弁えた「おとな」の風格さえ漂わせるような印象深いものがある。

 われわれの戦後は、先の大戦が齎した「敗戦と改心」のモチーフに導かれたものだったはずだが、どうやら敗戦の因たる過剰な脱亜入欧の世界的瓦解については全く顧みられていない。従って当然改心など到底あり得ない。つまり我々の戦後はその精神的モチーフをどこかに置き去りにしてここまできたということになる。しかも戦後まもなくそれは確定的になっていった。

 諸悪の根源は日米同盟であり、対米従属路線であり、「敗戦国」処遇の改善に至らない我々の責めだ。根源的に、明治維新という歴史的近代化の端緒が「王政復古」だったことは、抑々の民族的世界性の観点から、如何にしても共和制や民主制に馴染まない我々自身の運命を自ら引き寄せ、仮託的無責任実質を用意したということだった。「天皇制」に甘んじることで、民生は軽んじられ、時の為政者の取り分け旧官僚体制に委ねられた裁量が、多くは半端な「民主主義」を蔓延らせてきた。我々には既に国民主権の不実のみが印象されている。(つづく)