沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

詩の終わり 国政の犠牲者

 2006年12月沖縄本島北部(やんばると呼称する)名護市に移住、その後今帰仁村に定住してかれこれ13年になる。

 さて、コロナ禍はここやんばるでは4月中頃に名護市の感染者二人(いずれも北部以外の感染者からの感染)を数えたきり現在も含め一人も現れてない。沖縄県全体も4月30日(累積144人感染)から7月8日まで新たな感染例は皆無だった。

 7月8日の時点では福岡、鹿児島からの帰還者が夫々一人ずつ(中部保健所管内在住と石垣市在住)現地で感染したもの。その後、東京、埼玉からの来沖者が陽性、沖縄市のタクシー運転手が陽性(キャンプハンセン乗客から感染したらしい)、この辺から県外あるいは米軍基地関連での感染が頻出する。当然県外や米軍に関係しない県内発の感染者は未だ現れてない。

 7月28日現在沖縄県累計感染者数は235人(回復者145人、死者7人)、在沖米軍237人となっている。7月27日に判明した18人の感染者はいずれも那覇市浦添市中南部の在住者で感染経路は不明となっているが、県内原発のものはまだ確認されてない。那覇空港検温で37.5度の他県来沖者が詳細検査を拒んで逃走するという、前代未聞のあくどさを示したというが、高江で本土大阪の機動隊員が地元の運動家を「土人呼ばわり」したあの事件同様、ここにもこの国の民族乖離の現実(本土のどこにもこういう不逞を野放しにする自治体はないはず)が浮かび上がる。

 こうした沖縄に特徴的な現状(米軍関係と本土由来のコロナ禍)は、歴史的に琉球沖縄が置かれた境遇を今更ながら明瞭に物語っている。そして例によってこの場合も、この事実をめぐる本質的な問題点(地位協定、民族間乖離)について、この国と米国は今まで通り等閑に付す気でいる(米軍は基地をロックダウンしながら一部緩和しているという)。それが当該「沖縄問題」の根幹をなす国家政府の国政懈怠現状(基本的人権の無保障状態)であり、内国植民地扱いの恥知らずで野放しな露出を許す、日本国国家国民の醜い正体だ。

 尤もコロナ禍については事沖縄だけの問題ではない。東京都や関東周辺、あるいは大阪など感染者が急増している地域からの来県者等が、恐らくは、地元で地道に感染拡大を抑え込んでいる自治体の努力を水泡に帰すような事態に向かわせようとしている。GoToキャンペーンがまた愚劣にもこれを促進さえしている。国が、政治家や財界の利権がらみで国民生活を危殆に瀕するように動いているのだ、血税使って。

 東京オリンピックは来夏に延期という話だが、都市が開催するこのイベントは、当の東京都が周辺含め感染拡大している危機的状況下では最早ただのお遊びに過ぎず、それどころじゃないというのが実情で、アスリートの心情を慮るというなら競技会の名称でリモートで個別に記録を競い合うか、対面競技なら完全に収束後を目指し無期限延期(中止)とするがいい。

 今直面すべき問題は現状の正確な把捉以外にはなく(どう眺めてみてもこのコロナ禍を明確に解説できる専門的な意見は未だ世界中どこにも見当たらない)、見切り発車は国民の生命を軽んじる暴挙だと断じるところだ。

 いずれにしても、コロナ禍と一見無関係に見える、これまで出来している安部一派の不祥事(モリカケサクラ等)、一連の強行採決による法制化(従米路線と軍拡軍国化)、といった集合から明らかに染み出すアベイズムの反歴史的性格は、このコロナ対応施策の愚策悪策によってその生来の馬脚をいやが上にも現したわけだが、命に係わる状況下国民が国家政府による焦土化作戦(G0T0キャンペーン)を強いられ、戦時体制並みの生存形態に突き落とされているという話で、ここまでくると自分たちは今まで何をしてきたのか訝るという愚にもつかぬ反省に気もそぞろなのだ。(つづく)