沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

詩の終わり 「日本国対沖縄」概論の1

 現在の沖縄から見れば、近年「日本国対沖縄」という関係性が高江・辺野古問題等を通じ益々確定的に問題化されて来ている(と、思っている)ので、例えば現政権の「安倍晋三が体調不良で辞任、菅官房が次期総裁候補優勢」「菅体制は安部路線踏襲(振興策基地問題リンク論)」という風な情報は、多くの弑逆実態に置かれている沖縄からすれば些細なコップの中の嵐、耳障りな騒音としか受け止めえない話になっている。

 これは勿論、今次コロナ禍における政府対応の拙劣さや、GoToキャンペーンが明らかに齎した感染拡大弊害(累積感染者数爆発、重症者・中等者・死者数増大、医療環境の逼迫)の沖縄特化傾向などにばかり由来しているのでないことは、少しばかり沖縄を知る人には容易に了解されよう。筆者に言わせるなら菅の、感染者宿泊療養施設確保に関する県に対する苦言?や、感染者が出た辺野古工事の強行など、殆ど前世紀の話にしか思えない。

 少なくとも安全保障(軍事でなく基本国民の命を守るという前提)の現実的な観点から物申せば、今の自公政権における安保理念はほぼ幻想的な机上の空論を仮想的に具現化する内容(国民福利より軍事的拡大を先決する)で推移しているというほかない。例えばこのところ毎年のように、何度も立て続けに起こっている激甚な災害(台風、集中豪雨、洪水・土砂災害等)、人的被害の連鎖的な勃発(浸水被害、家屋倒壊、生き埋め等)や、異常気象下の日本列島における、種々の、明らかに通常想定を超えた現象(コロナも含まれる)に対して、この国は危機的に総合的な見地を欠いたその場しのぎの応対で済ませているという評価は、的を射ている。つまり本質的な安保というものはおざなりになっているという話だ。

 戦略的・軍事的・国防的な意味で言えば、抑々日米安保体制そのものが沖縄では全く歓迎も評価もされず、その廃棄をこそ大多数が望んでいることは世論調査に数字として示されている(ほぼ8割が安保反対)。おまけにこれまで喧しく論じられてきた普天間返還論議は「政治的理由」という前代未聞のこじつけ論がまかり通るというでたらめ。またミサイル戦略上海兵隊(陸上殴り込み部隊)は向後有名無実なものとなりつつあり、更には戦時的即戦的な意味での同盟軍(米軍)は実質的法的に存在しない(戦時における在日米軍最重要課題は米人の救出・脱出にほかならない)のだった。

 にも関わらず思考停止して闇雲に従米的に、日米安保体制を推進強化していた安倍政権やそれの追随者たちの権力闘争など、勿論沖縄にとって無意味で無益なものであり、彼らの安保悪策の典型として当然に辺野古がやり玉に挙げられる。そしてその愚策のツケ(血税)は国民が何気に支払い続けているということに当の国民は気づこうともしてない。同時に、同胞への負担押し付けにも甚だ無関心、無反応をやめない。

 自公政権のみならず殆どの政治集合が日米安保を容認し、国民がこれを必要悪と考えていることは世論数値に明白だが、対して沖縄が全く逆の数値を変わらず出しているのは日米安保=米軍基地=基地公害という連環から割り出された当然の結果であり、それだけ当事者にとって基地にまつわる人的被害は深刻な意味を持つものだといえる(世界一危険な飛行場を持つ沖縄)。

 いずれにしろ、「日本国対沖縄」はこの先、異種民族間の対立とさえ極論する話になっていく。沖縄県民には、日本政府や日本国民の考え方が常に「上から目線」「頭越し」と見えているし、それは結局大東亜戦争という、彼ら(日本会議等)の言う「聖戦」なる妄想を基本とする、侵略戦争への猛進を促した旧大和民族?の傲慢にして利己的な精神に通ずるものだ。

 さて、コロナの沖縄現状は(国基準では重症者20人、中等者78人)入院中241人、入院療養等調整中23人、宿泊施設療養中21人、自宅療養中26人、死亡36人(7月以降29人)、累積感染者数2229人(2020年9月7日県発表)となっている。因みに既に延長緊急事態宣言は9月5日には解除。観光立県として県経済の主要産業である観光は、極めて覚束ない状況というべき国指針のもと、いかにもおっかなびっくりで進めるしかない状況で、少なくとも検査体制の不完全性が先行きの見えない心的環境を助長しているのだから、空港港湾での徹底した検査と感染者の行動制限乃至保護を第一とし、安心安全を確実に見通したうえで観光を勧奨するという方向へ持っていくべきだ。既にこの国が何もしない機能不全を恥もせず、のうのうとふんぞり返っている在り様では、各自治体首長は最早自治権の完全執行を前提に独自の方針を繰り出し和歌山方式を執り、県民救済を実質的に諮るべき時が来た。

 事程左様に沖縄県琉球処分で強奪された独立国政体を取り戻し、米軍基地を追い出し、辺野古から日本国の蟻のような工事業者を追い払い、日米安保体制からの完全離反を宣するべきだ。当然ながら基地跡地の原状復帰は米国の責任でさせるべきであり、彼らの国際法違背状態を弾劾し、その戦後覇権支配、世界占領を糾弾し、世界理念の奪取と国際連合的欺瞞性からの解放をこそ目指すべきだ。

 パクスアメリカーナは、薄汚れた掃きだめのように堕落し、人種差別の悪辣さに満ちており、到底世界性を代表するようなものではない。そのローマ帝国的軍事的優越に気圧されることなく、日本国憲法の基本理念としての、カントの「永遠平和のために」を熟読精読し、政治的解釈的改憲のグズグズな在り様を改め、自律的国民性を取り戻すべく、明治維新以来の近代史を徹底的に洗い直し、どう考えても誤った国策で推移した日本のここまでのあり様を直視し、真摯にこの先を見通して進まねばならない。(つづく)