沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

この国の終わり 五輪問題では人間として当然のことを素直に実行すること

 既にこの東京オリパラに関する表・裏両面の真相は、硬軟織り交ぜ白日の下にさらされているといえるのだろう(世界各国から聞こえてくるのは中止を促すものばかりだ)。今世界の大前提は、人類史上稀有な、しかし絶えず起こりがちなこのパンデミック感染症コロナ禍が、世界中の人々を恐怖と不安の中に放り込み、これとの相克にいやが上にも総力を挙げなければならない、という状況にある(戦争中だ)という事実こそ、疑いなく誰の目にも明らかだ、ということだ。

 つまり今人類が第一に取り組み集中すべきは、可能な限り人流を抑制し濃厚接触を回避して感染拡大を阻止し、取り合えずワクチン接種を第一義として集団免疫状況を作り出し、現在の人間的通常営み疎外の現実を改変して、活動交流の自由を可及的早急に回復することだ。しかも自助努力だけでは決して可能とならない、通常性にできるだけ近い社会的営為の補償を、十全に国策的に緊急的超法規的に施し、人々が進んでこの日常的自由回復への協力努力をすべく仕向ける、国家的効果的メッセージと具体的効率的方策を実行することが求められる。

 周知のように世界は比較的に先進国が、主にワクチン接種の広範化にほぼ成功しこのコロナ禍閉塞状況から徐々に脱出する流れになっているのだが、その一方で途上国やアジアの小国などどちらかといえば変異株の猛威が予測不能な勢いで襲い掛かり、従前にも増して手の付けられないほどの惨状を呈し始めている実態がある。つまり変異株の新たな襲撃は先進各国のせっかく得始めている安定的収束を何時でも覆すような脅威を見せつけているといえる。ワクチンの齎す集団免疫さえどうかするとこの変異株には通用しないような徴も見えているというのだろう。

 このような予断のならない世界的状況を目の前にすればおのずと人が何をしなければならないか、何をしてはならないかがはっきりしてくる。かてて加えて東京オリパラ直前の日本国の場合、ワクチン接種率が途上国並み、慌てて接種率を上げても全国民等し並みに接種可能な結果を得るのは本年中にあり得ない話だということはわかりきっている。おまけにインド型変異株が英国型に取って代わろうとしているこのコロナウイルスの変化は現行ワクチン接種による予防効果や安全性すら脅かすと言われる。まさにコロナ禍は「戦争中」という非常事態を国内外を問わず表出しているとしか言えないのだ。

 トイレのないマンション並みの原発を引き合いに出すまでもなく、上記のごとく「やってみなきゃわからない」レベルにある東京オリパラ開催は文字通り一か八かの「賭け」そのものであり、その危険性は「一億火の玉となって」戦争への道を突き進んだ先の大戦時の日本国が有していた「神風信仰」に近い「やぶれかぶれ」の蛮行と言える。

 このように見てくると世界各国内外からの中止論評、科学的医学的根拠に基づく中止勧告、に背いてまでも開催せんとするこの国は、アベスガイズムに吞み込まれた滅亡まっしぐらのコロナ敗戦予定国家に落ちていくとしか言えない。SNS等批判非難など何かしら言挙げするが一向に機能しない「国民意思の実現」という谷間は、結局一人一人がおのれの心向きや考えに素直に従うというあたりまえのことができない国民性というところに逢着する。何故開催反対なら数万人規模で立ち上がって菅内閣政権放逐の大ムーブメントを起こそうとしないのだろう。この政権が欺瞞隠蔽ごまかしでたらめ嘘八百でできていると既にわかってしまったではないか。

 恐らくはこのまま敗戦国並みの身分へ落とし込んでも国には逆らわない国民性を地で行くことになろうて。そうしてコロナに苦しみ続け行き場のないいらいらで、ひとりまたひとりと悶死していくのが見えている。