沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その2

 この国の国民的なムーブメントは、結局この、「普通ではない」コロナ禍の国際運動会実施の離岸流(民意からの乖離、科学的知見、医学的見地からの離反)をやはり止めることができず、あらゆる負の要素(嘘と差別主義と無神経さ、残虐さ)を満載兼備しながら、ある意味猛然と強行開催しようという菅政権、自公系保守政治集団、当然にIOC(元凶はバッハ会長というアングロサクソン的強圧媒体だった)、JOC組織委員会、東京都小池百合子(この女史は女流政治家としては鋭敏な方だが都民にとってはどうやらいなくてもいい存在だ)らの「なんだかよくわからない」意思(我々はそこに金権主義やエゴイズム、いじましいほどの自己保存本能などを見る)に従って、7月23日、「水晶の夜」並みのきな臭いような不気味などす黒い光の中で開催されたようだ。

 NHKの実況を見る限り、誰かのお通夜のような重苦しさと不気味な静けさだけが今でも底の方に漂っている。多くの点で正当性に欠ける何らかの巨大なイベントを強行しようとするとき、権力者は彼らのすることに否応なく付きまとう錆や垢、腐臭などを見るはずだが、当然彼ら自身の中から後悔や不本意な本音が洩れることはない。向後この国や世界で起こることは賛否半ばして無責任な連中の言い訳と嘘、強弁に埋め尽くされるだろう。posttruthは続く。

 この東京オリパラはとりわけメデア・マスコミ・ジャーナリズムの商業主義と権力者のこれを利した目くらまし作戦により、コロナ禍のすさまじい現状から目を背けさせ国民をくだらない日の丸礼賛の狂熱に引きずり込み、かつてない非現実的ホロコースト医療崩壊と死人の山)の惨状を現出させるだろう。のちにこれを顧みて、したり顔に「知らなかった」「騙されていた」というのがこの国の国民の予定された言い訳になる。当然、人身御供を数人でっち上げ、かかる惨状のA級戦犯としてその首を絞める。権力者は敵前逃亡を決め込んで、行方知らずの過去となる。元来た道だ。まさしくオリンピックなどやってる場合じゃない。

 この世を金権で動かしている世界の所謂大富豪等の集う空間と、我々の思考空域とはまるで別世界のような隔たりがある。安倍・菅路線はそういう人類空間における1割程度の経済的上層部のための政治に邁進している(勿論そのニュートン力学的平板さにはどう見ても確かな有意な根拠などはあるはずもないーーオリパラを推進したのはこういう連中だ)ので、コロナ禍に残置されている高齢者、重症患者、中等症者、あるいは入院待機患者、自宅療養者、宿泊施設療養者など、明らかに日々生死をリアルに念頭に置かねばならない人々の事など、数字上の匙加減でしかみることができない(菅が言う「事実」なるものは明らかに総体的には意味がない事実だーー彼は森なしの木を見つけてそれが森と等価だと主張する)。当然、この不遇な人たちに直接間接に重大な影響を与えるだろう多くの新規の感染者に対しても、数値的マジックの中で密かに打算的に対国民的印象だけを操作する話(諸外国に比べ小規模に抑え込んでいるといって)で終わらせている。

 「我が闘争」を渋面とともに読まずにいなかった人なら即座に了解されようが、第一次大戦敗戦後膨大な賠償問題に打ちのめされたドイツ国民の前に姿を現したのは、大ドイツを誇示しゲルマン民族の優秀性を鼓吹する、不遜にして傲慢なアジテーター、国家社会主義、労働者の味方を気取る全体主義の権化、社会の底辺部を底なめずりしてきた劣悪な精神的モブたちだった。その頭目アドルフヒトラーは、民族的出自の卓越性を担保するかのように当時欧州を多くの分野で席巻していた祖国なき彷徨えるユダヤ人を猛然と敵視し、これの廃滅をこそ求めて極端な他者(他国)排外排除思想に固まっていった。これがやがて優生思想となってホロコーストユダヤ600万、ロマ、精神障碍者、捕虜、社会的弱者の絶滅)へ凝結し、それが姿かたちを変えて現代に蘇り、世界の富裕層大富豪たちの主流の考え方となり、恐らくはプロテスタンティズムの倫理性が根本的に覆される時代(悪魔の時代)に入って行った。彼ら資本主義の旗手たちは見るからに開き直って、半ば当然のように排他的排外的利潤追求と内部留保のうちに、密かに政治的にある合理主義(適者生存、自然淘汰、優勝劣敗、弱者廃滅)に自らの内面的矛盾を保留する生き方を是とするに至った。

 我々はこうした金権的勢力の蠢きをリテラシーの観点からも明確に喝破しその正体を暴かないわけにはいかない。彼らは恐らくは我々の耳目の及ばぬところで底知れず大胆にこの世の通底音を奏で、密かに確実に「優生思想」という新型のウイルスを仕込み、諸方にじわじわと小規模のパンデミックを発生させている。もしかするとこのコロナ禍もまた彼ら特有の仕掛けが功を奏した一例に過ぎないかもしれない。

 コロナ禍は、緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置などで一般人の中から都市やその底辺に生存するいわゆる生活弱者をあぶりだし、彼らを経済的精神的ひっ迫状態に追いやり(コロナ自殺に導き)安倍菅路線により、彼らの生存権さえ奪取するに少しの躊躇いもみせなかった。彼ら自公政権下のこの国の行政機関などは国民のために機能するより、手続きの煩瑣や無意味な建前によって極めて非効率的にしか仕事をしようとしてないために、中小零細企業は明日の命も保障されない奴隷的自粛を強いられている。

 やはりオリンピックなどやってる場合じゃない。日本人はこの国の国家政府の愚策悪策無策によって、望むべくもない、生き馬の目を抜くような生存競争を強いられている。言わば内部留保を残して悠々と生き延びる者らの傍らで、明日をも知れぬ「羅生門」の世界を目にする自身の姿がありありと見えているではないか。