沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

この国の終わり 暫定「何もわかってないコロナ禍と自公政権を選ぶ日本人」

 現況、今のところ日本も含め世界中の医学者、専門家らの、日本の急激な感染者数減衰傾向や、現今世界の状況に対する明瞭で明確な状況分析はほぼゼロだということが言える。というより、彼らの科学的推論の多くは素人でもそうだと考えるところのものと大差ない。つまりは「どういうわけか?」日本の第5波は、解析不能の収束傾向に向かった、あるいはワクチン接種が唯一の決め手だがどうもそれも一筋縄ではいかないということになろう。自然界の趨勢に人間の知が追い付いていないわけだ。

 その故に言わばこのコロナ禍は、誰にも正確には実証的に、殆ど解明されてないということ。それは、敢えてここで素人が結論を急ぐと、人間対自然ほか外界の関係上、人知が及ぶ狭い世界での「ああでもないこうでもない」に比すれば、自然及び外界は途轍もなく「不可解」で謎に満ち、それの前にはどんなアプローチも手探りでしか届かない、場合によっては全くの未到に終わるという現実こそ明らかだと言える。従って大向こうが、ワイドショー並みに。多くの専門家らのこの期に及んでの目に見える沈黙を名指して、これを大仰に非難するのは的を射てない話だと。尤も表現の自由は批判的な意見をこそ尊重すべきだともいえる。

 我々は表面的とさえいえる現象界の感覚的感性的なところからしかその知的活動を開始出来ず、しかも並々ならぬ好奇心や切迫した心境と根の深い動機がなければ、物事の真相には到底たどり着きえない。まして切実な医療現場に明日をも知れぬ過酷な労働を強いられてきた医療関係者が、日々業務に追われ、この奇態な感染症について研究的態度で接する機会など到底見いだせないだろうことは火を見るより明らかだ。

 このコロナ禍で、我々一般の人が如何にも有効と心得ているのは所詮、当初から「なんだかよくわからないが」取り敢えず二重にマスクをし、不要不急の外出や3密を避け、手洗いうがいを励行し、ソーシャルディスタンスを保ち、一応治験の在りそうな?ワクチン接種を2度3度心がけて、感染しない、させまいと自問自答し言い聞かせ続けること以外にはない。そして一方で、私家政治に狂いまくった安倍・菅路線のせいで到底許容できない税金が何があっても不本意に無駄遣いされぬよう、自分たちの分は分捕ってでも手に入れ、生活生存の手段を確保すること、そして彼ら権力者の手に渡らぬようあらゆる手段で声を上げ、行動し、阻止すべきこと。

 菅政権が瓦解し、岸田内閣が組閣後ただちに衆議院解散総選挙の、手まわしのいい政治画策で、問題山積の政局打開の挙に打って出たのは、当然に自公政権の永続的存続を執念ぶかく追及するこの国の保守陣営の身もふたもない権力欲のなせる業だということはよくよく見定めておかねばならない。

 ところが最近の朝日新聞世論調査によれば、相変わらず自民党への国民の、如何ともしがたい自ら「墓穴を掘る」心理が災いして、いきなり単独過半数維持情況が浮き彫りとなりかつ結果は絶対安定多数というていたらく(あれだけ安倍・菅が悪辣な私家政治を国民意識を無視して強行したというのに)。勿論立民の無様な伸び悩みも手伝って、この国の戦後政治環境が愚にもつかない保守性を頑迷に保って、薄汚れた金権賄賂政治と銘打ち雪崩を打ってひた走る、絶望的な、精神性をかなぐり捨てた「魂の抜け殻」的民族的暴走を、間接的に選び取る国民がいる、と明示している。

 だがこれは実に表層の、この国が陥っている絶望的状況を否応なく反映している事実を逆説的に示したという、身もふたもないあり様をのみ意味していることを見誤ってはならない。半数近い有権者が選挙権を行使せずに、現行日本の政治的絶望を表現したというのが実相であり、それは取り分け特徴的に捉えられた現代日本の重大な病根そのものだ。

 しかしながら世界のコロナ禍は欧州ロシア等、またしても感染者数が増加傾向にあると言われる。タガを外した人的交流が盛んになれば、当然に接触機会が増え、減衰したとはいえ残存するそれから徐々に増殖蔓延するという、ごく自然な流れではないか。収束した、という結論は日本も含め今のところ誰にも出しえない。感染症という一種の自然現象が人間に示す何らかの意味を個人レベルでなく社会的世界的レベルで探るべく悟性を機能させねばならない。