沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

詩の終わり 本土と米国由来のコロナ汚染で沖縄は

 411年前の島津侵攻(1609年3月~4月)、その実態は日本国の江戸幕藩体制下の一地方藩(薩摩藩)が、武力行使によって当時の琉球王国尚寧王時代)に侵攻、その中継貿易による経済的権益の一部を奪取する(薩摩藩付庸国)という暴挙をなしたもので、幕藩体制下の島薩摩藩江戸幕府の命を受け日本との一種の朝貢関係を王府に強制したというもの。当時明(のち清)に朝貢していた琉球はこれにより二つの国に従わされたという形だ。形質は「君臨すれど統治せず」だったと一応言えるが、日本国によって一つの独立国がその干渉、介入、権益掠奪を被ったという事実に変わりはない。

 それより前豊臣秀吉朝鮮半島李氏朝鮮)を侵犯し(文禄慶長の役1592、1597年)貪欲な領土的拡大を図ったように、日本国の野蛮な対外思潮はこの時期に既に常態化していた。同時に、特に支配者の脳髄の中には近隣アジア諸国に対する思いあがった侮蔑的心理が芽生えていただろうこと、想像に難くない。明治維新後、帝国日本の脱亜入欧が際立つのだが、かの15年戦争帝国主義覇権主義的性向は遥かに400年以上前の為政者の脳漿に既に宿っていたというべきであろう。但し、欧米の覇権的植民地主義と明らかに異なる新興「持たざる国」の悲哀がそこには介在している。(島津侵攻もこの藩の置かれた生中な窮状に由来していたとも言えなくない)。

 いずれにしろこの島津侵攻から、琉球王国に対する日本国の不当な干渉介入侵犯が始まったということは疑義のない歴史的な事実だ。それが結果的にのちのち琉球処分琉球侵略に至った(伊波 普猷の「琉球の近代化」という解釈は、彼の郷土愛に根差した琉球側からの歴史的価値観を示すものであろう)。如何に日本の歴史家が、日本寄りに解釈的に糊塗しようとも本質において改変できない事実である。現行、日本国による沖縄施策はほぼこの本質(植民地化)の敷衍に過ぎず、明らかに統治者の脳内ゲームそのもの(実態を見ずに机上で巧まれた施策)であろう。言葉の綾に過ぎないが日本側からすると「琉球征伐」「琉球処分」となり、本質論的には「島津侵攻」「琉球侵略」となる。この関係を忘れてはならない。

 この二つの出来事は日琉の間にある民族弑逆の禍々しい象徴として絶えず振り返るべきものであり、現代の日本人乃至大和民族が、他民族(琉球民族)を今もって植民地的に服属させていると言える、決定的な端緒と見る必要がある。

 米国の沖縄占領はニミッツ布告以下昭和天皇メッセージによって決した変わらぬ戦勝者意識に基づいており、明らかなハーグ陸戦協定違反実態にあり、日米政府が両加担する国際的反民主主義的行為継続の恥知らずな露出だ。それは1972年の沖縄返還以後もその軍事基地の継続使用によって引き続く。しかも日米安保体制は米国米軍の地位を治外法権的実質において運用し、なおかつ米軍によって訓練に関する基本的運用ルール(夜間10時以降の飛行等)さえしばしば破られている(それも常態化している)。

 住民から起こされた基地公害に関する訴訟(普天間爆音訴訟等)にあっては悉くこの治外法権実質が優先援用され、日本国憲法における基本的人権さえ沖縄県民にはその受容権を保障されてないといえる。

 辺野古のことは今更言わずともわかるだろう。

 ここにきて、コロナ禍にある日本国現政府対応の拙劣さにより、Gotoなんちゃらが愚劣にも始動するにあたり、観光立県たる沖縄はまさにその被害をもろに被る最先端の地となろうとしている。

 おまけに米国から配属される新任兵士がダダ洩れ状態の米軍基地コロナ汚染は130人を超える感染者を出しつつあるのだ。彼らが市中に出回って折から独立記念どんちゃん騒ぎの挙句にクラスタを引き起こし、当然市中感染も徐々に確実に起こっており、日米相俟って繰り返される沖縄蹂躙の国際犯罪が現実に露出する恐るべき実態が示されてきた。

 観光立県の沖縄が再び観光客を呼び戻したいのは当然だが、水際での汚染防御体制(全来県者の空港港湾でのPCR検査)なしには到底一般県民の安心は保証できない。政府方針など知ったことじゃなく、何よりも安全性の確保が優先されるのは当然だ。それは他の多くの国民が同じように考えるはずの事だろう。(つづく)