沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その5

 アルファ株(英国)、デルタ株(インド)、ラムダ株、など、変異株の種類はこれ以外にもいくつかある。この3種の際立って感染力の強い変異株は現在ワクチン対応で捕捉される感がある(ワクチン頼みの菅はこれを絶対視するが異論はあるようだ)が、いずれも完全とは言えず、特にこれから最も危険視されているのがラムダ株と言われる、ぺルー発のそれだ。変異とは進化かと言われれば感染力や重症化リスクからすると如何にもウイルス的進化過程というしかないのだろう。つまりより強力な感染力と抗体破壊の威力が増進する形質だ。彼らも生き残るためには様々な変貌を遂げねばならないわけで。

 ワクチンの有効性は現時点では種類によって6~8割程度の重症化(感染予防ではない)防御率を示しているが、変異株の進化は当然に確率に過ぎないこうした有効性の間隙を縫って出来するわけで、現在進行形にあるワクチンと変異株の相克状態には先の見えない現実が歴然としてあると言える(つまりワクチン万能じゃない)。しかし、近来エビデンスができつつあるこのワクチンの接種は取り敢えず急がれねばならない。しかも3回目の接種を示唆する動きも見られる(2回では心許なくなっている)ので、我々は恐らくは、このコロナ禍が始まった当初に示された3密回避、うがい手洗い励行、ステイホーム、2枚重ねマスク着用、不要不急外出の自粛といった心がけによって、少なくとも個々人が自ら感染はしない努力を今後とも怠れない、つまりは新規の感染者を出さないことが最大限要求される、ということだ。オリパラはGoTo同様やってはならない不要不急の感染拡大要因そのものであり、この国の為政者が如何に判断を誤っているかが問われなければならない。

8月25日現在国内
現在感染者数237,358(前日比 +10,386)
新規感染者数24,319(前週同曜日比 +407)
累計感染者数1,368,338
死亡者数
15,757(前日比 +45)
退院者数
1,115,223(前日比 +13,888)
 
世界の新規感染者数
664,610(前日比 +204,812)
累計感染者数
213,050,725
死亡者数
4,448,352(前日比 +8,023)
回復者数
報告なし
 
G7  新規感染者数(直近1週間)における新規死亡者数(直近1週間)の割合

アメリカ  0.49% イギリス  0.32% フランス 0.33% イタリア 0.55% ドイツ   0.29% カナダ  0.25% 日本  0.12% 

その他 ロシア 3.77%   インド 1.35%   韓国 0.35%   インドネシア 5.41% トルコ 0.72%        

 この、日本におけるコロナ新規感染者数に対する直近一週間の死亡者数の割合が世界でもかなり低い水準で抑えられているのは勿論注目に値するが、菅内閣とその政権、政府の対策が功を奏していると立証することは今のところできてないし、あらゆる局面が成果や評価の段階にないことは現状を見れば誰にでもわかろう。つまり、数度にわたる緊急事態宣言の継続は、何をおいても緊急性を確実に保っているのだし、医療ひっ迫崩壊危機は現実に起きているのであり、国家のコロナ退治事案そのものが医療本体の犠牲を余儀なくし一般人が病院前で頓死するはめになる。

 事程左様に、東京オリパラが感染拡大に関係しないという(担当大臣の断言の)立証も当然できるわけがないし、逆に五輪後の感染爆発が尋常でないことの方がより大きなインパクトを持つ。強調すべきはそっちだ。

 問題なのは、自分にとって都合の良い数値的実例のみを挙げて(オリパラ関係者の新規感染者数割合など)殊更国民の気を緩めるような、非常時の臨機な対応ができてない菅・小池体制の方なのだ。取り分けて、「救える命も救えない」実情にある重大な医療緊急切迫様相は政治の機能不全、国家政府の「あってなきがごとき」実態を如実に示している。まさにオリパラどころではないし、菅や小池らは明らかに「国民を見殺しにして」欧米的強圧に屈する、傀儡性に堕した腰抜けでしかない(いかに格好つけてもオリパラはそういう醜悪な本質を露呈している)。

 しかしこの死亡者数の割合等は菅政権のコロナ禍に対する奇妙な楽観視、乃至事あるごとに後手後手の対応の、取ってつけた言い訳に使われているのは間違いない(心裡的に)。ところが実際は、ひっ迫する医療関係の、現場における極度に重労働化する、必死的な対応に依存することでこの数値が辛うじて成り立っていることにこそ留意すべきであろう。医療関係、医療従事者にあっては、現在通常インフルエンザなど問題にならない、悲劇的様相を帯びている。

 おまけに軽症重症問わず新規の感染者が増えれば増えるほど、この医療関係のひっ迫、崩壊がいよいよ進むことは誰の目にも明らかで、(東京都のように)故意に検査数が抑えられ(濃厚接触者追跡の断念など)、隠れ感染者が無症状のまま知らぬ間に巷に溢れれば(取り分け感染力が強く重症化しやすいデルタ株では)、無警戒無防備な市中感染やら、結果的に時を置かない重症化、急な死亡例なども予測を超えるスピードで襲い掛かると考えるべきだ(それが危機管理だ)。

 こういうことに対する基本的な危機管理、厳密な予測と早急な対応など、菅政権や政府、東京都は到底都民国民側が評価できるような体制にないことは、既にはっきりしている(印象としてでも世論は過半がそう思っているようだ)。菅の発する希望的観測は最早大本営発表並みの、事実に沿わない「嘘」「でまかせ」になり了している。

 勿論小池都政も同断であろう。この政治家は計算高くけち臭い、「何もしてないくせにアリバイ作りのパフォーマンス」だけがこれ見よがしにひけらかされる、ここに至っては中身のない政治で食いつなぐ情けなさばかりが目立っている(オリパラ実行者としてコロナ禍での開催につき知事は完全に説明のつかない論理破綻を地で行っている)。しかし都民は、国民は、こういう程度の低い政治屋と相変わらず堕落しきった国柄そのままにただれた(白紙委任状の)代議関係を継続中だ。どこにも自分を守ろう、人々を守ろうという意思が感じられない。我々は、飼い主に飼殺される奴隷である以外立つ瀬がないのか?

 国民にとって具体的に物事が見えてこない状況が続く。政治の効用も何一つ決定的でないことが見えている。政権担当者のみ有する危機管理手段が発揮されず、即応体制から繰り出す具体的な対策が欠如し、あっちでもこっちでも救済網から洩れた命が失われている。彼ら為政者は真剣でない、何故ならこの期に及んでも彼らが顔を出すのは世界大運動会の馬鹿気たお祭り騒ぎ以外にない。国会は開かれないし与野党含めやってることで、効果的な実現性の高い方策が全く論じられてないし、政策提言さえどこからも聞こえてこない。あいつらは本当に「税金泥棒」そのものだ。

 どうしてこんな国になり下がったか?

 安倍晋三が「戦後レジームの破壊」と言上げしたところから敷衍すると、「戦後民主主義の破壊」という方向へ導かれる。民主主義の破壊、ではない、この国の戦後を主導した「民主主義」が実は民主主義でもなんでもなかった、ということ。民主、というような主義はない、憲法にちゃんと「国民主権」と謳っている以上法定的なアイテムであり、主張すべき主義なんて言うものでないことはわかりきったことだ。だから、全ての国民が「主権在民」を法的に順守すれば事足りる話だ。

 主権者である国民がそれぞれに様々な意見を持つのは当然だが、統治機構としてはそこに一定のルールを設えないと収まりが付かないので、「多数決原理」が採用され、代議員選挙(獲得票数競争)と代議員による多数決決議により立法が行われる、という仕組み。

 現行選挙制度の内容について語るほどのデータは持ち合わせないが、先ずいうべきは投票率が過半を超えることは稀だということ、それは最近の公職選挙では顕著にみられる事象だ。つまり、主権が存する国民の半分は代議員の選出に関わらないという事実。これは端的にいうと選挙自体成立しているのか、という当然の疑問にぶち当たる。法的に、憲法上の大原則である主権が行使されたと言い切れないわけだ。

 しかし、これを主権行使の放棄行為と見做すこともできる。権利を行使しなければ権利を放棄したと言われるが、しかしそれは一方的な解釈で、選挙自体に民意反映の実質を認めない一定の塊があり、それが抗議の意味で行う積極的放棄ともいえる。この塊を一種の権利媒体と見做すなら、選挙制度そのものの見直しが要求されていると考えることもできる。つまり、主権の存する国民の意思が選挙制度に異議申し立てをしている、そういう現象だと。この民意反映否定状態で選ばれた代議員による政治が有効な、憲法上の主権在民を反映しているというなら、一体だれが正確にこれを評価するというのか?結局は「物言わぬ民」のせいで現行立法代議員の「恣意」が横行する形質となる。