沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その1

 ひと頃は東京オリパラ中止・延期、国民世論8割強というはっきりとした形勢だったのが、菅はじめIOCJOC組織委員会、東京都(小池百合子は40万反対署名を黙殺したらしい)がほぼ全く世論を顧みずに開催へ突き進んだ(この事実は否が応でも人類の負の歴史として残るだろう)結果、開催まであと数日という段階で、メデア・マスコミ・ジャーナリズム形勢が、東京オリパラ開催決定の方向で何となく染められ始め、何やら突き上げムードも一部を除いて意気消沈の体で、結局は「どうしてもやるんでしょう」程度の諦めで全ては既定事実と言わんばかりの液状現象だ。

 東京都の感染爆発(数千人規模)は開催をまえにして既に始まっていて、いかにこのオリパラ関連国家政府方針が、コロナ撲滅に対する反対キャンペーンに加担しているかをまざまざと証拠立てている(この事実もまた消し難い史実として残るだろう)。それは言を俟たず、この自公政権、国家政府が、似非国家主義(私家政治化した低劣な国家主義まがい)に毒され、適者生存、優勝劣敗、自然淘汰を不作為に取り込んで、弱者排除、優生思想、中小企業自然消滅こそ望んでいるという証左だ(実際菅の師表はかのデービッド・アトキンソン小西美術工藝社社長)。

 とはいえ、世論としては未だ、黙っていない人は黙っていないわけで、「この国はおかしい」「どう見ても普通じゃない」という感じに大方の在り様がどことなく雰囲気的にはなっている。ヤフコメも事あるごとに反対世論通りの怒りコメントがメジロ押しなのだが、一方で決して崩せない現行体制、という構図はほぼ鉄壁のようにさえ見えている(菅ゲッペルス体制)。ヒトラーが演説気違いだったのは知られているが、菅の一見底深い謙虚を装っている姿勢での「言い抜け」手法はいじましいほどに自己保存本能に添っているようだ。この宰相がいかにくそみそにこき下ろされてもなお健在なのは、この人心に絡みつくいじましさが齎したサバイバル根性のなせる業だ。

 ところがよくよく考えてみれば、(安全安心を連呼する)菅やIOCJOC組織委員会、東京都ほか開催容認賛成派の在り様は、尾身会長その他の科学的知見、医学的疫学的見地から見れば明らかにまがいものだと誰でもわかっているはずだ。つまり無理を通せばの譬え通り、菅たちは無理を通して開催にこぎつけた(未だ過去ではないが)のであって、彼らは決して正当に正しい道を通ったわけではなく、また、現実的に即物的に実行された(強行開催された)からと言って向後断じて正当な評価の対象にさえならないものだと誰でも知っている。東京オリパラの実態はIOCという世界的営利団体の営利目的以外何らの理念性も常識も持ち合わせない、堕落した資本主義のなれの果てめいている。日本がこれに少しも逆らえないのはこの国もまた末世現象にある国柄に落ちて立ち上がれないためだ。

 当然にオリパラ後(あるいは最中)のこの国の感染爆発と東京株世界拡散という重大な瑕疵の責任について、彼らオリパラ実行機関とこれを指示した菅政権、国家政府乃至東京都が全面的に問われなければならないし、向後この国はIOC絡みのスポーツイベントには絶対的に参加しないと国民が約定させねばならない。また若し天皇が開催宣言でもしたならば、それは天皇憲法上の不作為な違反行為というべきものになる。彼の見えざる「意思」と開催促進メッセージは、憲法上重大な未必の故意避けうべきコロナ感染拡大を未然に食い止める心情の発露を回避した戦犯見做しという事実を派生させる(大方はうやむやにされるのだが)。

 安部菅路線、自公政権日本会議系保守反動政治、大日本帝国復活、国家主義まがいの民主制否定、歴史修正主義、対中対北脅威扇情、沖縄差別、戦争のできる国、欧米追随、アジア蔑視。

 こうしたこの政権の持つ明らかに時代錯誤な歴史逆流現象は、結局はこの国の戦後体制の間違いをこそ半面教師的に示唆しているのだった。勿論世論の基調はこういうまがい物を諸手で受け入れたわけではないはずだ。その証拠に世論の意を示す公職選挙結果は「他に適当な者がいないから」という(理由にならない)理由で半数近く棄権(政治的絶望を表現)し、組織票頼みの自公政権に簡単に大量の議席を献上してしまったにもかかわらず、各論反対(残念ながら総論は可としている)が常にこの政権の政治の舞台では主となっている。

 結果、自公政権、安部菅路線は必ず強行採決、ごり押し、数の論理だけで、政策決定の立法行為を無理強いに繰り返した。しかも彼らのやったことは元来た道へ急カーブのUターンを図ったに過ぎない。そこでは、彼らの脳漿にのみ宿った帝国復権の不埒な夢を国民世論とは何の関係もないところで強引に具体化しようという、彼らの浅はかな思惑が透けて見える。こうした言わば20世紀的モブ(ナチスヒトラーなどもこれに該当する)の跳梁跋扈に至った原因は戦後日本の追及すべき対象である、敗戦に至った近代日本そのものの真剣な洗い直しを回避したことだった。