沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

この国の終わり 沖縄県民だけが平和を希求しているのか?

 6月23日、沖縄県「慰霊の日」として、特別に条例で定めるところ、沖縄戦等の戦没者を慰霊する記念日とし、その日は専ら市町村機関の休日とされる。

 沖縄戦の、苛烈な地上戦による無差別の、軍民共生共死を強いられた地獄のような体験に依拠しているとはいえ、同じような思いは東京大空襲やその他の悲惨な戦争体験にもみられるわけで、その意味では時を分かたず国民等し並みに、何らかの慰霊の思いはその都度各自に湧き上がっているものであろう。しかしながら平和を希求する思い(戦争など二度とごめんだという思い)は本土とこことで何故かくも相違するのか不思議としか言えない。

 1945年6月23日から数えて76年、慰霊の日は、沖縄戦で4人に一人が犠牲となった沖縄の県民ばかりでなく、この戦争での国籍軍民問わず全ての戦没者を慰霊する日であり、沖縄県が県民挙げて、過去現在未来におけるすべての戦争に対する「非戦」「避戦」「厭戦」「反戦」の意思を新たにし、自ら戦争に関わらず携わることがないように、また誰もがそれに赴くことのないように祈念する日とされる。移住者が10数年ここに住して感じたのは、そうした平和希求の念がここでは既に生活の中に普通に存在していて、沖縄戦の戦禍のいちいちが事あるごとに思い出されているという事実だ(但しそれも徐々に若い世代からは消えつつあるのも事実らしい)。

 さて「慰霊の日」は、日本国憲法前文にある下記の記述に則り

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。

われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。

 第9条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。 

上記条文通り、戦争手段を永久に放棄し、交戦権も認めず戦力を保持しないという、明確な覚悟と意思に従うことを誓う日でもある。

 今、カントの「永遠平和のために」を論うまでもなく、歴史上ほぼ恒常的にさえある、戦争状態の世界的環境を不作為に放置することの非人間性(黙認、逃避、盲従、無知無関心)に思いをはせ、破壊し殺しあい無辜の人々を悲嘆と苦悶のどん底に突き落とすあらゆる戦争戦闘行為が、我々の手で必ず食い止め消滅させうる対象だと思い定め、永遠の平和を現出させる不断の努力を惜しまないと決意したのが、日本国憲法9条他の意味だ。

 当然、日本人がこのような他に類を見ないまさに「理想追及!」の憲法を押し頂いたのは、先の大戦とそこに至った近代日本の在り様に、「敗戦」の痛みを通して深甚な後悔、反省を加えたからだと、今、日本人は確信するし、それ以外何らの意図も含まないと理解する(それなのになぜ日本は戦争のできる国を目指すのか?)。

 しかし戦後のこの国の歩みには当初から「(非人間的)現実主義!」の、「後悔と反省」心性とは真逆の蠢き(逆コース)が織り込まれていた。「警察予備隊、保安隊、自衛隊」という実質的「軍隊」保持コースが歴然たる憲法違反の公然とした行使としてこの国の戦後のその意味の「非人間性」を滲ませ始めたのだ。しかもこれは大戦戦勝国米国および西側防共諸国による、極東における防共の要である戦後日本の囲い込み方針(米国による日本傀儡化)にほかならず、偏頗な講和条約ソビエト連邦は会議に出席したが、アメリカ軍の駐留に反対する姿勢から条約に署名しなかった。インドネシアは条約に署名したが議会の批准はされなかった。中華民国インドは出席しなかった。)のついでに日米間で安全保障条約が締結されたのも、9条に違背する交戦権、集団的自衛権容認(安部政権時に閣議決定)という逆コースそのものだった。

 戦後76年は時間的淘汰、平準化、希釈化を加速し、こうした戦後日本が抱える国策矛盾をさながら「何事もなかったかのように」現状追認というよりむしろ積極的肯定の方向へ雪崩を打って突き進んだ。蓋し、政権を得た旧社会党の村山首相が1994年、就任直後の国会演説で、安保条約肯定、原発肯定、自衛隊合憲など、旧来の党路線の180度の変更を一方的に宣言した(wikipedea)驚くべき変節は、こうした日本国の在り様を奇しくも左翼側から証明して見せた形となった。但し、その後の社会党の凋落は加速度的に進み、今や野党的求心力を完全に失って、党(社民党)存亡の危機という事態を招いたのは当然の話であろう。如何に糊塗しようと「転向」という裏切りは倫理性への背信であり、その点では現行政権のそれと大差ない在り様と、誰でも思う。この二大政党時代の野党第一党の完全な失墜は、自公系(立憲民主等その他も含めた)保守政治の、泥沼のような戦後政治環境を蔓延らせた唯一の因源というほかない。但し、「カソリズム対コミュニズム」という現代世界イデオロギーの対立軸は米中対決という一大イベントを浮かび上がらせながら、その強固な価値観の相克を展開して、何らの自律的見解も有しない大和民族の先行きの見えない在り様とは別して何の関係もなく、恐らくは向後その実質的主導権争いに血道をあげるのであろう。

 先行きの見えない大和民族の先行きを占うことは極めて困難なのだが、国柄や民族的な意味の絶望感は、折からの東京オリパラ狂騒劇も相まって、更にはコロナ禍の世界的パンデミックに襲撃されて、いよ増しに増し、ステイホームの齎す鬱々した閉塞感は、目に見えて現実の精神症状を示し始めている。恐らくはかつてなく自殺者が絶えないだろう。この国の絶望は最早手の施しようもない段階に来ている。

 夢よもう一度、とばかり菅なんぞは50数年前の東京オリンピック高揚感の再現など目論んでいるらしいが、ひどい話で、(コロナ対策の)政治的行き詰まりを個人的な時代遅れのノスタルジャで幻想的に乗り切ろうという国民無視の私家政治に走る、安倍同様の三流政治をやられては、国民もたまったものではない。さて、ダダ洩れ水際策と蟻の一穴から崩壊する変異株コロナ感染爆発が今秋今冬あたりにどんな悲劇へ導くことか、想像すると現政権への憎悪、抜きがたい恨みは果てもなく湧き上がり、地団駄踏む思いが今から後悔とともにひしひしとつのっていく。この国は一体どこまで苦しめば自分たち国民主体の国になるものか。