沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

詩の終わり さっさとこの政権に引導を

 このブログの書き始めは何気ない独言に過ぎなかったし、ブログを通して小説の下書きのような試みをするのが目的であり、当時はまだ本土にいて沖縄の事についてなど何ら問題意識もなく、専ら「移住」というテーマで思考する中での文作りだった。ブログは、特に改まって余所行きの設えを構えるというようなものではなく、徒然草にいう「徒然なるままに」思い浮かんだ事どもを「そこはかとなく」書きつけるもので、おおきにそういう心持で、特に身構えて格別なことをしでかそうというような感じではなかった。

 「移住」は筆者の、というより筆者の傍らの人の、「暖かい所に住みたい」という長年の願望に添って企てられた行動で、北海道や東北で生まれ育った環境から寒冷地への忌避の念が芽生え、温暖な地への強い憧れが育まれたという、実にありきたりだが切実な思いの発出だった。一方筆者の思いはもう少し違って、手づまりな(本土での)当時の生活に、場所を変えて新風を吹き込むというような思いだったように感じる。

 郡山の借家を引き払い、名護市のマンションに大移動したのが2006年の末、とはいえ、那覇空港の外に出たときその空気のにおいに思わずむせたことを覚えている。そして、マンションの下の浄化槽から強烈な下水のにおいを嗅いだ時も、この移住に対し一種の後悔さえ覚えた。「移住」とか「沖縄」とかいうアイテムに、うっすらとある種の夢を見ていた者に、現実の臭気を打ち付け、この先のうかがい知れぬ暗部を先ず示したということだろうか?

 今にして思えば確かに移住は、沖縄の暗部を目の当たりにすることから始まった。あるいはそれを逃れようもない出会いの本質と認識することでもあった。しかし筆者にとってそれは真空地帯を用意して一種の隔離状態を現出するような話になっていった。体のいい村八分が、自ら呼び込んだ境遇になる。

 さて、何故、こんなどうでもいい、私事にわたる部分を披歴するかといえば、ほかならぬ沖縄の話を、一介の素老人が、ある意味公開の場であるブログに無謀にも述べ立てるというような、大それた企てに加担するわけで、個人情報を事細かに暴露する勇気はない代わりに、沖縄に関わる一面に少しばかり私事である個人の事情を加味させたというに過ぎないといえる。

 私事は続く。

 名護市にある中央図書館で、先ず手にしたのが屋良朝苗氏の生涯譚で、琉球沖縄が戦後米国軍・民政府の支配下に甘んじて、其の圧政からの解放を望み、氏らが苦心惨澹所謂「祖国復帰運動」を展開し、1972年、戦後27年にして漸く沖縄返還が成ったという、極めて特殊で特徴的な体験談を書き連ねたものだ。そこに繰り広げられていた琉球沖縄の特異な綾なす人間劇が、圧倒的な米国の占領地支配という、理不尽な境遇の民族弑逆実態にあって、如何にそのアイデンティティを戦後の社会で再生させるか、少なくとも敗戦の憂き目にあって曲りなりに日本国憲法を押し戴いた日本国を、たまさか「祖国」と見做し、その法治国家に復帰しようというこの運動は、当時は沖縄人の共通のコンセンサスを示すと思われていた。しかしながら、返還成っても屋良氏(初代主席)は本土での祝典には出席せず、撤退撤去しない米軍基地と密約に満ちた返還外交(手打ち)をもって、「祖国復帰」は日米政府に琉球沖縄が騙されたものだと、吐き捨てた。

 今にして思えば、これはかつての琉球処分(侵略)の延長上にある、歴史的にも欺瞞性に満ちた、同一国内民族侮辱の最たるものであり、そのまま現在の沖縄問題、基地問題に何らの改変改善もなく接続する。それは基地問題の中心をなす「地位協定」の治外法権性と、国家の超法規的自治体処遇(憲法違反状況)からくる民族感情の反米反日性が、如何なる自虐的歴史解釈も排除するものとしてあるということで、県民感情が近代化や生活利便の向上などで緩和同調傾向にある(「復帰」は県民の8割がたが良好な受け止め方をしている)ということとは別問題なわけだ。

 いきなりだが辺野古問題の本質というのは、戦後民主主義の日本的な表象が、恐らくはこの国の国民性と日本の近代化の複層性(コンプレクス)によって表面化したということであり、極めて政治的な「画策性」(こじつけ論の横行)が正当な稟議の発露を悉く阻害しているという実態にある。その根本が日米安保体制にあり、原爆の日(8月6日、9日)広島長崎で臆面もなく同一文面を並べただけの安倍晋三発言母胎である「核の傘」だが、正当な稟議を尽くせば、これらは軍事的戦時的リアリズムに添わない仮想敵の幻想的実質にあるというわけで、所謂自公系保守政治の「思考停止」状態そのものだ。特にこの安倍政権にあっては安保体制の自動的継続推進(猛進、妄信、盲信)形質が如実に示されている。

 これに関連して言えば、先の大戦に至った(戦争を止め得なかった)この国の国民性の問題こそは、実は何よりもその問題性が深いのだといえる。丸山真男や朝河寛一らの分析検証にひけらかされた、日本人の現実対蹠能力に見る「不可解」な反応としてのこの在り様を如何に解読するかで、問題解消の糸口を探ろうというものだ。この不可解な反応と結果的誤謬(軍国化と敗戦)は、勿論日本国家の近代化の誤謬(脱亜入欧とアジア的孤立)からきているし、一体に現代世界のグローバリゼーションにおける本質的な矛盾は、世界がスタンダードな理念的基準度量衡を持たないというジレンマにあり、とりわけ国際社会におけるパクスアメリカーナ現象からくる論理的・倫理的・理念的閉塞状況(世界的post truthに至る)では、日本人には、日本の近代化以降の全歴史に対して説得性のある筋立ての困難さ(複雑さ、不純さ)ばかり目に付く。

 日本国の、あるいは大日本帝国の敗戦、敗北、瓦解は、世界史においてはごくありふれた歴史的事件の一つに過ぎず、ニュルンベルクと東京での所謂国際軍事裁判で多くは戦勝国による復讐裁判の色濃い性格に傾いたが、そこで裁かれた「平和」(と「人道」)に対する国家的罪過については、将来に向けて比較的明確に字義通り裁かれたということになる。この所謂「事後法」については論議を呼んだが、問題は法的手続き上のことでなく、敗戦国夫々の受け止め方に掛かって解釈されるべき性質がある(但し、独伊と日本の相違は顧慮すべきだ)。そしてこの国家的な罪過に対する考え方が、日本国憲法の重要な中心的理念を形成しているのであり、それがカントの「永遠平和のために」に披歴された平和理念といわれる。しかしこの人間的に卓越した考え方を正当に、真摯に受け止めえた日本人は戦後、主流にはならずに経過した。これが現代日本を、度し難い複層化する筋立てに引きずり込んで止まない。

 現在、沖縄県の累計コロナ感染者数は1179人に及んでいる(名護市14人、北部保健所管内在住者13人)。7月以降で言うと1037人という感染拡大があった。しかも所謂愚劣極まりないGoToトラベル開始時期から明瞭に感染爆発的な傾向を示している。勿論クラスタ的経路(飲食業関係)が主流で、PCR検査数も影響してはいる。一方医療実態は入院者258人、入院調整中279人、宿泊施設療養中64人、自宅療養中273人であり、明らかに今後の大規模な感染爆発を予感させる療養体制逼迫実情が顕著だ。医療崩壊である。沖縄県在住の我々は無為無策の政府などに今更何も言うことはないが、この期に及んで未だにGoToなんちゃらを推進し、矛盾に満ちた発言を繰り返し、責任ある対応を為しえないこの自公政権を到底許すことはできない。その権力の座に図々しく居座って、嘘八百並べ立て、恥知らずな利権争奪戦を繰り返す大うつけどもに鉄槌を。(つづく)