沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

詩の終わり 菅義偉という政治家の泥沼政治

 菅内閣が発足直後早速に問題化させた「日本学術会議会員任命」拒否行為は、大方次のような政治傾向を露呈したということになる。

 先ず、中曽根内閣で先鞭をつけたこの、首相による任命行為に関する考え方(法解釈?)に対し、菅内閣は明確にこれを否定したと取られているし、実際事実は何を抗弁しようがその通りであろう。しかしこの法解釈(考え方、基本方針、法の精神)否定は決して有効な説明内容を披歴せずに単に「私はある者(政権に批判的な知識人等)の任命を拒否する」と私的に(党派的に)表明したというに過ぎない。つまり、正確には、何ら公的な有効性を持たない首相の(ツイート的)独言を、軽はずみに明るみに出してしまった菅個人の無様な失態にほかならず、言わば彼自身の公人としての自覚のなさ(いつまでも官房長官のつもりらしい)を内外にひけらかしてしまったのだ。

 しかし問題は勿論そこに留まらず、一国の最高権力者が事もあろうに(前任者が結局グレイゾーンのまま逃亡を図った)明らかな私家政治を強行し、私的な権力保持手段を行使して、印象の拭えない低劣さを恥も外聞もなく曝け出したということだ。そこにあるのは前任者同様反知性、非論理、更に非倫理な性格に満ちたpost truth政治性だ。つまりは時代が生んだモブというべきチンピラやくざ風情の集合として、この新内閣を見据える必要がある(あくまで純粋に民主主義というものを前提するなら)。繰り返せば今回のこの問題は法(習慣法)解釈などというレベルの明らかな事実関係にはなく(従って法律問題ではなく)、極めて低レベルな私家政治の暴走、前内閣同様の失政既定路線にほかならない。

 この国の民はかく各論的に権力が為す失態など意に介さない。「他に適当な者がいないから」と言っておのれの首を自ら締める浅はかで愚かしい代議員選択に変更はない。実はこの事実の方が由々しき問題を孕んでいることは言うを待たない。疑似挙国一致内閣(国家統制を強権的に実行する内閣)の引き続くこの国では、一億総与党、大日本報告会そのままに大政翼賛会が出来上がりつつあり、メデア・マスコミ・ジャーナリズム挙って政権になびき、自由論陣から転落して恥知らずな忖度を繰り返す夜盗集団(公に申し開きのできない半犯罪集団)の国に成り下がった。官僚は「野党ヒアリング」で、その選良頭脳を鈍化し摩滅した口舌を臆面もなくダダ洩れさせ、国民が見ている前で明白な「官尊民卑」正体を曝け出す。彼らの口から出る言葉からは決して「公僕」の真摯な姿は見えてこないし、国民にあっては彼らの抱える世にも醜い組織的同性愛実態などは思いもよらないことであろう。

 所詮コップの中の嵐、愚にもつかぬ醜態でしかない。その喧騒は国が何かその陰で後戻りならぬ仕掛けを企てていると考えて置くべきところだ。(つづく)