沖縄の闘い

琉球沖縄のアイデンティティに対する圧政との闘い

詩の終わり 不可解なこの国の在り様

 2020年7月以降の「本土由来、米軍由来のコロナ禍」という、全国的にも典型的な沖縄県における動かしがたい事実関係については、例によって愚劣なGoToキャンペーン続行という政府方針や、所謂専門家といわれる政府の諮問会議面々の、効果的でもなく直接的でもない(従って傾聴するに値しない)意見などにより、ここ沖縄ではいよいよイメージとして雲隠れし始め、県内感染者による感染拡大傾向(家庭内感染やクラスタ)が顕著となったため、玉城知事の緊急事態宣言は県外からの渡航自粛すら見送り、県民のみが規制対象となる不思議に嘆かわしい実情をさらしている。県外からの観光客は、軒並み閉鎖となった観光地やビーチに行きたくとも行けず、恐らくは市中闊歩や歓楽街でのどんちゃん騒ぎでうっぷん晴らしを繰り返し、彼ら由来のコロナ菌をまき散らすは、クラスタを引き起こすは、というわけで、政治的にも法的にもどうにも歯止めの効かない状態に陥っている。

 県民は来県する観光客を見るにつけ、彼らが何しにここに来たのか首をかしげるばかりで、特に那覇などで見かける外国人観光客には、その無知さ加減にうんざりさせられるということになる。

 不可解、という言葉が日本人の言動を表現するに傾向的特性だということは、少なくとも論理的に筋立て得る言動ではないということだ。辺野古問題は政治問題だと、多くの政治経験者がいうのだが、そんな問題はないというのが論理的で、結局あらゆる論理的根拠の無根を証明しただけで終わった。根拠もなく辺野古に拘る政治家はよくよく見ればせいぜいが「一度決まったことだから」という弁解で締める。

 沖縄は怒る。何故なら筋の通らない軍事的建造物が非戦反戦厭戦に覆われた県土と海と空に、わざわざ外国の軍隊のために作られるというのだから。しかも事は益々不可解な方向へねじ曲がっていく。「普天間返還」の条件が辺野古だとするにも拘らずその完成に何十年もかかるのだし、しかも米国は普天間の継続使用を既に公言している。日本国政府はこれに対して何も言えない。ここにこの国の従米体質が明らかであり、かてて加えて工事地盤としての大浦湾海底にはマヨネーズ並みの軟弱地盤が認められ、それでも工事強行という気違いじみた仕業が国の手でやられている。気違いと言って悪ければやっぱり「不可解」というしかないわけだ。

 「不可解」と「不可知」は勿論内容からして違う。不可解論などないし、それはいかに糊塗しようとでたらめということだ。不可解からは何ものも始まらない。事の基本が失われている。人は不可知からは動き出せる。努力によって正当性という背景を持てるから。?マークつきの事柄に誰が黙って真摯に向き合えるか?不可解な見切り発車のGoToキャンペーンが沖縄を地獄へ引きずり落したという、そんな具合だ。

 何が言いたいか。いい加減、どう見ても不可解な人の言動、無為無策でしかない政治に無思慮に乗っかることはやめようじゃないかということ。

 安倍晋三は逃亡を決め込んで、側用人の忠告通り言質を取られるような発露、発言などは徹底して封印し、重要かつ特殊で緊急的な場面には決して顔を出さないということだ。彼にとってはおのれの身の上ばかりが気にかかるわけで、つまりは行政府の長ではなく、超然たるカリスマ独裁者、神並みの采配で国民を牛耳ろうと虎視眈々最後の歴史的決定打を狙っている。

 こんなやつに何年も国政を委ねていたのは返す返すも悔いが残ることだ。(つづく)